始まりの手順


   036:鉄の味

 要領が悪いのはすでに識っている。戦闘要員であっても戦闘だけをしている訳にはいかない。書類仕事も回ってくるし、当人たちしか知らないような内容の確認などもあるから避けては通れない。それにしても、と卜部の目線が横へ動く。隣の机で書類と格闘しているのは藤堂だ。要領の悪いこの上官はよくも悪くも手を抜かない。この藤堂鏡志朗を慕って集まった猛者がいつの間にか四聖剣と呼ばれてどのくらい経ったのかは判らない。それでも集まる面子は同じであるから戦闘力としてもひとくくりだろう。仙波や千葉は常識的であるから自分の割り当てはこなしてくれる。問題なのは朝比奈だ。優男の面に疾走った傷のように一筋縄ではいかないこの若輩は卜部に仕事を押し付けて雲隠れした。去り際に投げつけられた言葉の真意に歯噛みするばかりだ。藤堂さんと一緒にいられるんだから感謝してね。藤堂への慕情を隠しもしない朝比奈と違って卜部のそれは墓場まで持っていくつもりだ。他の面子から咎められたことはない。朝比奈が目ざといのだ。優秀さが性質の悪さに連動するから朝比奈は面倒だ。
 藤堂を憎からず思っているのは間違いない。だがそれは恋か愛かと訊かれても卜部自身にも判らない。信じているのとも違う気がする。藤堂の優秀さは身にしみて識っている。顔貌も整っている方だろう。綺麗だかわいいだというより精悍という言葉が似合う男だ。軍人として、戦闘を生業にするものとしての技量は一級品。趨勢として負けていても藤堂単独では勝利するようなものだ。しかも思い上がることなく自分は駒の1つであると認識する。指揮能力もある。軍属してしかるべき階級にいる。その男は淡々と卜部の隣で書類仕事を片付けている。おかしいと思うのに帰れとも言えない。
「…あの、中佐。後は俺がやりますから帰っていいですけど」
「帰ったところで待つ人もいないから構わん」
部屋からたたき出すわけにもいかずにこっそり嘆息した。気が抜けた瞬間。走るように切り裂かれる感触にびく、と震えた。後から痛みが来る。角度や摩擦が折り合えば紙も刃物のように切れる。失念しがちな現象をつい忘れて注意が散漫になっていた。
「…――…ってェ…」
痛みの範囲が違和感と同時にじわじわと広がっていく。引かれた赤い線は案外深くぱっくりと裂けた。滴るような出血はないが突然発生した断裂に痛みは徐々に強くなる。
 痺れや痛みをごまかそうとしてひらひらと手を揺らす。その手首が掴まれる。目線を向ける前にぬるりとした感触に包まれる。絡みつく感触とぬくもりのある抱擁に弾かれたように目を向ける。藤堂が卜部の指を咥えていた。ちゅ、と吸い上げるような音までする。心のなかだけで肩を跳ね上げた卜部を知らぬげに藤堂の舌先は卜部の指をしゃぶる。無造作に走った傷口をなぞり、ぐりと押し広げるように舌先が潜り込む。たっぷりした唾液がしみる。ふあ、と藤堂の口が虚ろに開くと艶めくように濡れた指がうかがえる。むずむずとした据わりの悪さが卜部の体を揺らす。眇められた藤堂の灰蒼は静かに色をたたえて潤んでいる。愛撫するような舐り方は明らかに閨のそれだ。
 「寂しいんですか」
卜部は藤堂と閨を共にする。一度や二度ではないしその度に立場も役割も転換する。それでも藤堂は卜部の体を拓くときは愉しそうだ。生活水準の底辺にいた卜部は性に奔放だ。経験として女性は警戒する。互いに胤を残す気がない同士でなぜだか惹かれて枕を交わした。数多の傷の刻まれた藤堂の裸身を思い出して卜部の体が火照る。躊躇しながらも藤堂の仕草は大胆だ。思わぬ虚を弄られて動揺することも多い。
「…さみしい。お前を抱きたい…」
べろ、と吐き出された卜部の指と藤堂の舌先を透明な糸がつなぐ。本当はお前の唇を舐めたい。藤堂の指先が卜部の唇を押す。ちらちらと舌先が見えるから。その気になった。揶揄するように言われて思わず唇を舐めそうになるところへ藤堂の指がねじ込まれた。かつんと固い爪先と歯列がぶつかるだけで退いていく。
 がたりと椅子が鳴った。腰を浮かせた藤堂の体が卜部にかさにかかってくる。まずいな、と思いながら留める気が起きない。そのまま勢いのまま床へ倒れる上に藤堂がかぶさった。顔を背ける首筋へ藤堂は鼻先を寄せる。耳裏のくぼみを舐められた。身震いするのを藤堂の指がさらに加速させていく。
「くそ…!」
藤堂の鳶色の髪を乱暴につかむ。引き剥がすように引っ張る。体を退くところへ追うようにして藤堂の唇を食んだ。甘咬みではない。千切るつもりで噛み付いた。藤堂の灰蒼は刹那に集束したがすぐさま眇められる。ゆらゆらと光が揺れるのは涙か。唇は皮膚が薄い。ちょっとした傷でも出血は長引く。卜部は口の中へ鉄の味を感じるとすぐに離れた。赤い糸がぷつりと切れる。布地越しの熱源が卜部の体を撫でる。裾をたくし上げられて入り込んでくる手は目的と意思を持ちながら歩みは遅い。藤堂はねだるように卜部の耳朶を食む。濡れた舌先が耳の穴を穿つ。こわばるほどに震えてしまう体を持て余して卜部がうそぶいた。
 物好きが多いな。藤堂の手が止まる。判っていて卜部は身じろぎながらなんでもないように続ける。俺なんかを相手にして何が楽しいンだろうな。もっとやわいのや可愛いのがいるだろ。不意に疾走った卜部の手が藤堂の襟を掴んで引き寄せた。鼻先が触れるほどの近さで正面から見据える。
「気になる?」
「妬ける」
思わぬ返事に卜部のほうがたじろいだ。あっけにとられて怯んだ隙に引き寄せられて唇が重なった。藤堂の朱が卜部の口元へ跡を残す。息を継ぎながら何度も深く食まれる。頭の芯がぼやけてきた頃合いにようやく藤堂が食むのをやめた。
 指先が焦らすように釦を外すのに手間取る。明らかに故意だ。開いていくシャツの合わせから肌が覗く度にそこを押す。へそから腹、胸へと藤堂の手が這い上がってくる。
「ちょ、っと、ま…ッ…」
体の震えが止められない。藤堂の温もるような手が当てられる度に卜部の体が開く。脇腹を撫でられ、筋を掴まれた瞬間に卜部の体は若魚のようにビクビクとはねた。しゃっくりのように意識的に止めることの出来ない震えはそれゆえに深部へ及ぶ。袖を抜いてもいないのに卜部は裸になったように感じた。藤堂の体はいつの間にか卜部の脚の間にある。だが強引に押し入るでもなく静謐に卜部の反応を見ている。肩をすくめるように体の片側へ身を捩る。その反対の拓いた方へ藤堂の肌が触れる。過敏な首筋や耳元へ触れてくる。跳ねるように震える卜部の体を藤堂は控えめだが断固とした強さで抑えてくる。縮こまらせようする卜部の長駆を藤堂が抑えた。尖った膝を抑えられる。そのまま脚を開かれた。
「足癖が悪い」
「うるせェ」
服の上からでもゾクゾクと震えてしまう手付きで藤堂は内股を撫で上げた。卜部の眦に浮かぶ涙を藤堂の唇が吸った。
 ベルトの解かれる金属音がする。留め具を外しながら入り込む気配もない。布の上から脚の間を握りこまれて喉が鳴った。
「おまえが、ほしい」
藤堂の低い声が熱っぽい。欲しがりながら藤堂は急かさない。卜部の返事を待っている。その間隔がじわりじわりと卜部の体を追い上げ焦らしていく。無理やり犯せば。それは本意ではない。当然のような返事に卜部が首を傾げる。
「私はお前が感じているのを見たい」
卜部の顔が燃えた。息を呑んで耳まで赤くするのを藤堂は不思議そうに見ている。
「ば――…っか、じゃねぇ、の?」
「痛がる表情も嫌いではないが好くなっている表情のほうが私も興奮する」
なんでそういうこと言うんだあんたは。涙目で詰る卜部に藤堂はしれっとしている。唇噛みちぎってやるんだった。じゃれられたら傷を負っても我慢するしかあるまいよ。残るような傷をつけてやる。傷に触れるたびにお前を想う。くそったれやろう。言葉が汚い。指摘や注意に躊躇はしないぞ?
 「もう一度していいか」
返事をする前に唇が重なる。藤堂の唇の裂傷は血をにじませる。血の巡りでさらに鮮明に赤かった。釦が一つ一つ外されていくように卜部の体もゆっくりと藤堂に向けて拓いていく。布地越しであると判っていても触れた場所から融けるようだった。縹あいの卜部の髪を梳かれた。藤堂の手の大きさを不意に感じる。奥底から発する温もりに体がとろける。許可を求める藤堂の舌は暴力的だ。怯む歯列の隙間から押し入っては吸い上げる。逃げ場を失う舌は絡め取られて互いの唾液が口腔を行き交う。徐々に増えるそれを思わず飲み下すと藤堂の灰蒼が卜部を見ていた。鳴らす喉を藤堂の指が押す。喉仏が押し込まれて息を詰まらせるのを見た藤堂の表情がほころんだ気がした。
「…――ま、って」
唇が離れたと思うと指先が胸を這う。藤堂の手が下腹部へ入り込む。
「もう待てない」
首筋へ歯を立てられた。かすれた鉄錆のにおいがする。
 卜部が体から力を抜く。弛んだ体躯を藤堂の手が這い、抱き寄せる。
「お前は痩せているから骨の在処が判る」
トガリを撫でられて卜部が目を閉じる。卜部の背がしなった。


《了》

オフィスラブ(違う)                 2014年12月29日UP

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